1.最簡單的一篇日語對話,要求20句話左右
李:先生、お早うございます
木村:あ、李さん、。ちょっと。
李:はい、何ですか?
木村:今の場合、「お早うございます」と言ってはいけませんよ.
李:あ、そうですか?
木村:ええ。
李:じゃあ、「こんにちは」でしょうか?
木村:いや、それもだめです。今日、一時間目の日本語の授業で、李さんに會いましたね。
李:ええ
木村:「お早う」という表現は、一日の最初にあったときにだけ使うんですよ
李:あ、そうなんですか、一日に二回、同じ人に使ってはいけないんですか?
木村:ええ、そうです。「こんにちは」も同じですよ。気をつけてください
李:はい、わかりました。では、なんと言えばいいでしょうか?
木村:そうですね、まあ、何も言わないですね、軽く頭を下げるだけでいいんです
李:そうですか、知りませんでした、これからは気をつけます、先生、本當にありがとうございました、いい勉強になりました
2.跪求簡單的日語對話
1、你好——口你七哇(白天)、襖哈有(早上)、空幫哇(晚上) 2、謝謝——阿里嘎脫 3、再見——撒腰那拉(這個不常用) 4、再見——八一八一or甲or甲阿內or甲馬塔or馬塔內or掃屋甲 5、沒關系——卡馬依馬散 多依塔洗馬洗帖(te)(對方說謝謝時用) 6、是!不是!——害!依——挨! 7、行!不行!——依——內!打咩! j 8、對不起——死米馬散!or狗埋! 9、不知道——希臘那依 10、這是什么?——口來挖囊打卡? 11、媽媽——歐卡桑 爸爸——歐多桑 哥哥——歐尼桑 姐姐——歐內桑 弟弟——歐偷偷 妹妹——依毛偷 爺爺輩——歐吉依桑 奶奶輩——歐巴阿桑 阿姨輩——歐巴桑 叔叔輩——歐吉桑 12、一到十——一起、你、桑、有、鍋、樓哭、娜娜、哈氣、哭、九 13、太貴了!——塔卡依內! 14、這個多少錢?——口來依哭拉跌(de)死卡? 15、我也不好意思——口七啦口掃 16、好吃——襖依洗衣 17、我要開動啦——依塔大ki馬死 18、我吃飽啦——鍋七鎖撒馬跌洗他 19、為什么?——多無洗帖?or囊跌?or哪在? 20、小心——阿布那依 21、生日快樂——燙叫比偶咩跌偷 圣誕快樂——庫里斯馬死歐咩跌偷(按英語那樣讀就行) 22、最近忙嗎?——依馬鍋樓一掃嘎洗衣跌死卡? 23、你多大了?——阿納塔哇囊撒依跌死卡? 24、我回來啦——他大姨媽 25、你回來啦——歐卡挨里 26、我走啦——依帖ki馬死 27、你走好——依帖拉瞎依 28、好久不見了——偶嘿撒洗不利 29、你身體還好嗎?——歐趕ki跌死卡? 30、你要去哪?——多口挨(e)依哭諾卡? 31、您是哪位?——多奇拉撒馬 32、別吵!——薩瓦古納 33、不要放在心上——ki你洗那哭帖毛依依 34、沒怎么樣——囊跌毛那依 35、不,沒事——依呀,打依叫不 36、不必擔心——新拜洗那哭帖毛依依有 37、明白了——哇卡他 38、你說謊——五鎖刺ki 39、去哪?——多口挨?。
3.求簡短的日語小笑話 有羅馬音
先日、父はメガネを作りに行った際、(無色ですか?)と店員にレンズの色を聞かれると、何を勘違いしたのか、いえ、銀行員です。と自分の職業を答えていた。
senngistu,chichiwameganewostukuriniyittasai,「musyokudesuka?」toteninnirenzunoirowokikareruto,naniwokanchigaishitaka,「ie,ginkouindesu.」tozibunnosyokugyouwokotaeteita.
大致的意思是,前天父親去配眼鏡的時候,店員問父親鏡片的顏色,“是要無色的嗎?”【日語中無色和無業是相同的發音】父親覺得很奇怪,就回答了自己的職業說:“不是,是銀行職員。”父親把無色聽成了無業。
4.有什么有很多念白的動漫或日文歌曲
sound horizon的念白就很多。
這個組合自稱為「幻想楽団」,他們創作的主要是歌唱講述幻想故事的組曲般的「物語音楽」,其作品主要都是以有著故事性強的歌詞、音效、對白的組曲音樂。 一首曲子通常講述著一個完整的故事,而曲目之間又有著或多或少的聯系,整個組曲又能匯合成為一個更大的主題。
(以上摘自度)個人比較喜歡的列如《檻の中の游戲》《檻の中の花》(很復古) 《海の魔女》(睡前必聽)《side - エルの楽園 a》《 side - エルの楽園 e》(很可愛?)《 タナトスの幻想》(啦啦啦的那段適合做手機鈴聲)《 沈んだ歌姫》(很有俄羅斯的趕腳)《chronicle圣戦と死神 2nd》(好像舞臺劇)《 緋色の花》(很空靈)《戀人を射ち墮とした日》(說是魯魯修的插曲,但是我好像沒聽過)《魔法使いサラバント》(很童話的趕腳)《屋根里の少女》(好像只有曲子,不過蠻好聽的)《stardust》(很悲傷的故事)。嘛~這些多蠻不錯的,話說喜歡有念白的日文歌曲的人還真不多見呢~以上,望采納~。
5.【日語】求簡單的日語短小故事,中文最好有標注假名
ボートの二人(ふたり)
海外旅行(かいがいりょこう)をしている若(わか)い戀人同士(こいびとどうし)。メキシコの、とある海岸(かいがん)で日光浴(にっこうよく)をしているとき、小(ちい)さなボートを見(み)つけた。二人(ふたり)は、どちらからともなく、乗(の)ろうと言(い)いだした。
ボートを漕(こ)ぐのは男(おとこ)。女(おんな)は水著(みずぎ)の上(うえ)にヨットパーカーを羽織(はお)り、右手(みぎて)だけを海(うみ)に入(い)れている。
「ずいぶん沖(おき)まで來(き)ちゃったわね。大丈夫(だいじょうふ)?」女(おんな)が言(い)う。
「大丈夫(だいじょうふ)さ。また漕(こ)いで戻(もど)ればいい」真(ま)っ黒(くろ)に日焼(ひや)けした厚(あつ)い胸(むね)の男(おとこ)が言(い)う。
女(おんな)は男(おとこ)を頼(たの)もしいと思(おも)った。頼(たのま)れる人(ひと)と信(しん)じていた。そんな思(おも)いが、こんな言葉(ことば)を言(い)わせたのかもしれない。
「ねえ、もし今(いま)このボートが沈(しず)んだら、私(わたし)たち、どうなっちゃうのかしら。実(じつ)は私(わたし)、泳(およ)げないのよ」
「大丈夫(だいじょうふ)さ」男(おとこ)は、ほほ笑(え)みながら言(い)った。「こう見(み)えても仆(ぼく)は、學生時代(がくせいじだい)、平泳(ひらおよ)ぎの選手(せんしゅ)だったんだ。ボートが沈(しず)んだら、君(きみ)を助(たす)けてあげるさ」
「まあ、うれしい。さすがね」
それからしばらくの間(あいだ)、二人(ふたり)とも無言(むごん)だった。男(おとこ)はゴロリと橫(よこ)になり、灼熱(しゃくねつ)の太陽(たいよう)に全身(ぜんしん)をさらしている。どれくらい時間(じかん)がたっただろう。女(おんな)が突然(とつぜん)、海(うみ)に飛(と)び込(こ)んだ。
「た、助(たす)けてー」女(おんな)が海面(かいめん)で両腕(りょううで)を激(はげ)しく動(うご)かす。「お愿(ねが)い、助(たす)けて」
女(おんな)の悲鳴(ひめい)は続(つづ)く。しかし男(おとこ)は平然(へいぜん)とボートに乗(の)ったままだった。そのうち女(おんな)は、どこからか流(なが)れてきた丸太(まるた)にしがみついた。ボートの男(おとこ)を見(み)ながら言(い)う。
「ひどい人(ひと)ね。私(わたし)が溺(おぼ)れたら助(たす)けてくれるって言(い)ったじゃないの」
「仆(ぼく)は、ボートが沈(しず)んだら助(たす)けてあげるって言(い)ったんだ」
「そ、そんな……。私(わたし)は泳(およ)げないのよ。なのに放(ほう)っておくなんてひどいわ」
「泳(およ)げないのにどうして飛(と)び込(こ)んだんだい。君(きみ)は、仆(ぼく)の気持(きも)ちを試(ためし)そうとしたんだね。悪(わる)い人(ひと)だな」
男(おとこ)は、いたずらっぽく笑(わら)う。女(おんな)は反論(はんろん)した。
「違(ちが)うわ。あなたの気持(きも)ちを試(ため)すだなんて、そんなひどいことはしない……」
「だったら、どうして自分(じぶん)から飛(と)び込(こ)んだんだい?」
「だって……」
「だって、どうしたんだい」
「だって、ボートの中(なか)に大(おお)きなサソリがいるんですもの。それって、一刺(いちさ)しで人(ひと)を死(し)なせちゃうっていう毒(どく)を持(も)ってるサソリでしょ」
6.日語簡短小詩
歌名:優しい詩。 (溫柔之詩。)
歌手:RSP (Real Street Performance)
語言:日語
所屬專輯:優しい詩。
發行時間:2013-03-13
作詞:松尾藍
作曲:松尾藍
歌詞:
広い世界でたったひとつの
小さなあたしの愿い詩
笑って欲しいどこか遠くの
名前も知らないあなたにも
うまく言えたら辛くならない
うまく泣けたなら苦しくもない
うつむいたままそんなあなたに
安らぎのひとつ與えられたら…
空はいつでも誰の上でも
青色してた見上げてごらん
優しい詩を唄っていたい
弱い人にも強い人にも
噓やいいわけ心隠して
傷付くことをずっと避けていた
隣に座るほんとの自分
あなたはそれに気付かなくて
人の痛みを感じた時も
幸せな人を見つけた時も
同じ気持ちで涙したのも
あなたの心忘れないよう
空はいつでも誰の上でも
青色してた見上げてごらん
優しい詩を唄っていたい
弱い人にも強い人にも
空はいつでも誰の上でも
青色してたそれが嬉しい
優しい詩を唄っていたい
弱い人にも強い人にも
どこで生まれて どんな色持って
たったひとりのあなたいるから
今日も生きてる 人がいること
忘れないでよ 強いあなたへ
7.求日語簡單點的,簡短點的小故事
『天國と地獄』 ひとりの男が、天國と地獄について神様と話をしています。
神様が男に言いました。 「こちらについて來るがよい。
地獄を見せよう」 (一個男人和神談論著天堂和地域的差別,神對男人說:“跟我來吧,去地域看看”) 二人が最初に入っていった部屋には、人間たちが煮物の入った大きな鍋を囲んで座っていました。 (兩人來到地域的一間屋子里,人們圍著一口煮著東西的大鍋坐著。)
全員がひどくおなかをすかせ、生きる望みもすっかりなくしたように見えます。 (所有人都面露饑色,看上去沒有生機) 皆、スプーンを鍋に入れては煮物を口に運ぶのですが、スプーンの柄が腕より長くて口に屆きません。
(雖然沒人都用勺子把食物送到嘴邊,但是遠遠長過手臂的勺子無法將食物送到嘴邊) その苦しみようと言ったら、それはひどいものでした。(與其說他們痛苦,不如說是一件殘酷的事情) 「さあ、今度は天國を見せよう」 しばらくすると神様が言いました。
(沒多久,神說:“我們這次去天國看看吧。”) 二人がつぎに入っていったのは、先ほどとまったく同じような部屋でした。
煮物の入った鍋、そして柄の長いスプーンがあり、人間たちがいました。 と。
『天國と地獄』 ひとりの男が、天國と地獄について神様と話をしています。神様が男に言いました。
「こちらについて來るがよい。地獄を見せよう」 (一個男人和神談論著天堂和地域的差別,神對男人說:“跟我來吧,去地域看看”) 二人が最初に入っていった部屋には、人間たちが煮物の入った大きな鍋を囲んで座っていました。
(兩人來到地域的一間屋子里,人們圍著一口煮著東西的大鍋坐著。) 全員がひどくおなかをすかせ、生きる望みもすっかりなくしたように見えます。
(所有人都面露饑色,看上去沒有生機) 皆、スプーンを鍋に入れては煮物を口に運ぶのですが、スプーンの柄が腕より長くて口に屆きません。 (雖然沒人都用勺子把食物送到嘴邊,但是遠遠長過手臂的勺子無法將食物送到嘴邊) その苦しみようと言ったら、それはひどいものでした。
(與其說他們痛苦,不如說是一件殘酷的事情) 「さあ、今度は天國を見せよう」 しばらくすると神様が言いました。 (沒多久,神說:“我們這次去天國看看吧。”
) 二人がつぎに入っていったのは、先ほどとまったく同じような部屋でした。 煮物の入った鍋、そして柄の長いスプーンがあり、人間たちがいました。
ところが、この部屋の人たちはお腹もじゅうぶん満たされ、その顏は幸せに輝いていたのです。 (二人進入了和剛才一樣的屋子。
煮著食物的鍋,長長地勺柄,人們坐在鍋邊。但是,這間屋子里的人肚子都飽飽的,臉上洋溢著幸福的光輝。)
「どうしてなのでしょう? 私にはわかりません」とその男は言いました。 (“為什么是這樣的,我不明白。”
男子說道。) 「なぜここにいる人たちはこんなに幸せで、さっきの人たちはあんなに慘めなのでしょう?條件はまったく同じだというのに?!」(為什么這里的人是那么的幸福,剛才的人卻是如此的悲慘?條件明明是相同的呀!) 神様はほほ笑むと、「それはとても簡単なことだ」と言いました。
(神哈哈笑著:“這很簡單”) 「ここにいる者たちは助け合うことを學んだのだ。ただ、それだけの違いなのだよ」 (這里的人都學著團結互助,僅此而已)。
8.求3篇簡短的日語小故事 漢字要標假名 有的高手速度
1、旅(たび)
「千里(せんり)の旅(たび)、萬巻(まんがん)の書(しょ)」という中國(ちゅうごく)のことばがある。その意味(いみ)はいろいろ解釈(かいしゃく)できるが、私(わたし)は自分(じぶん)でかってにこう解釈(かいしゃく)している。
——千里(せんり)の旅(たび)をすることは、萬巻(まんがん)の書物(しょもつ)を読破(どくは)するにひとしい。
千里(せんり)の旅(たび)、萬巻(まんがん)の書(しょ)——旅(たび)とはいろいろ考(かんが)えられよう。しかし私(わたし)は、旅(たび)とは、さまざまな國(くに)で自分(じぶん)を発見(はっけん)することと、后悔(こうかい)の向(む)こうに希望(きぼう)を見(み)だすこと、そして人間(にんげん)の世界(せかい)はかくも広(ひろ)く、かくも多様(たよう)で、かくも豊(ゆた)かなのだということを実感(じっかん)することだと思(おも)う。
だからこそ、千里の旅は萬巻の書に値するのである。
2、昨日(きのう)の自分(じぶん)と比(くら)べて
誰(だれ)にとっても、大切(たいせつ)なのは昨日(きのう)の自分(じぶん)と比(くら)べること。昨日(きのう)より今日(きのう)が幸(しあわ)せということが一番大切(いちばんたいせつ)だ。ところが、結構(けっこう)みんなが忘(あす)れてしまっていること。「幸(しあわ)せ」になるために勉強(べんきょう)したり、仕事(しごと)したりしているはずなのに、幸(しあわ)せに生(い)きていくことを忘(わす)れて流(なが)されてしまったりしている。
「幸(しあわ)せ」とは、心(こころ)の充実(じゅうじつ)である。ただ人(ひと)によって幸(しあわ)せは違(ちが)う。スポーツをしていたら、幸(しあわ)せな人もいれば、研究室(けんきゅうしつ)で研究(けんきゅう)しているのが幸(しあわ)せな人(ひと)もいるし、家族(かぞく)といるのが幸(しあわ)せな人もいる。自分(じぶん)が幸(しあわ)せだからこそ心(こころ)も充実(じゅうじつ)して人(ひと)の幸(しあわ)せも愿(ねが)える。
自分(じぶん)で幸(しあわ)せでないのに、本気(ほんき)で人(ひと)の幸(しあわ)せなんか愿(ねが)えない。大切(たいせつ)なのは、どうやってより幸(しあわ)せで充実(じゅうじつ)した時間(じかん)をたくさん持(も)つことができるかどうかである。人生(じんせい)は一回(いっかい)だけだ。昨日(きのう)の自分(じぶん)と比べて、毎日(まいにち)を自分(じぶん)にとって最高(さいこう)の日(ひ)にしようとすることが大切(たいせつ)だ。
3、結婚相手(けっこんあいて)
奇跡(きせき)の扉(とびら)をあける鍵(かぎ)は、だけの手(て)にも握(にぎ)られている。ただ、それに気(き)づく人はほんのわずかしかいない。運命(うんめい)を変(か)えるほどの大(おお)きな奇跡(きせき)は、早々(そうそう)とない。変(か)えたいと思(おも)う小(ちい)さいな一方(いっぽう)を重(かさ)ねることで、いつの日(ひ)か奇跡(きせき)の扉(とびら)は開(ひら)く。
彼女(かのじょ)と小學校(しょうがっこう)の時(とき)に初(はじ)めて出會(であ)ってから今日(きょう)まで、どれだけの時間(じかん)を過(す)ぎたんだろう。彼女(かのじょ)はいつも近(ちか)くにいた。気持(きもち)ちを伝(つた)える時間(じかん)は無限(むげん)のようにあった。だから、告白(こくはく)する最高(さいこう)の瞬間(しゅんかん)をずっと探(さが)してしまったのかもしれない。
結婚相手(けっこんあいて)は一番(いちばん)好(す)きな人(ひと)ではなく、二番目(にばんめい)に好(す)きな人(ひと)を選(えら)んだほうがいい、としたり顏(かお)で口(くち)にする者(もの)がいるそうだが、付(つ)き合(あ)ったら人生(じんせい)で二番目(にばんめい)に好(す)きかどうかなんて分(わ)かる人がいるんだろうか。でも、一つだけ確(たし)かなことがある。人生(じんせい)で一番(いちばん)好(す)きな相手(あいて)を失(うしな)おうとするまさにその瞬間(しゅんかん)にこの人(ひと)だったと気(き)づくのである。